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2021/07/28

"Café de Ciel bleu" 三杯目 『ブルージーンズとカフェの休日』前編


 海を望む丘にある小さなカフェ"Ciel bleu "。そこで織りなされる小さな物語と小さなミステリー。


⭐︎⭐︎⭐︎

「ふう。暑い」

 額に流れる汗をタオルで拭って木陰でひと休み。海からの風が涼しい。

 カフェの定休日に合わせ、今日は朝の早い時間から、潮風で傷んだテラス席の塗装やら壁の簡単な補修作業を行っていた。正午にはまだだいぶ時間があるというのに真夏の太陽はすでに空高く登っている。

「誠也(せいや)くん。ちょっと休憩しよう。アイスコーヒーがあるよ」
「おう。いいっすね」

 やって来た真っ白なTシャツの胸も背中も汗で濡れている。色褪せた洗いざらしのブルージーンズ。ところどころが破けて膝が覗いている。そんな格好が絵になっている。

「うまい。このアイスコーヒー美味しいです」
「ありがとう」
「よその喫茶店のアイスコーヒーとはぜんぜん違うけど、何か秘密があるんすか」
「ああ、それはね・・・」

 アイス用にブレンドした豆を挽き、水出しで時間をかけて抽出した。だから苦味の中にほどよいコクと甘さが感じられて美味しい。

「ところで、こんなことまでさせてしまってごめんね」
「別にいいっすよ。俺もこのカフェが好きだから。好きでやってるんで気にしないでください」

 彼はわたしの従姉妹の大学生で、先日から夏休みを利用してカフェの手伝いに来てくれていた。アルバイトと言わない理由は雀の涙ほどの報酬しか払っていないからだ。それなのにお店のヘルプだけでなくこんな肉体労働まで。我ながらちょっと甘え過ぎだと思う。

 もともとこのカフェは彼の母親、わたしの母の姉である杏子伯母さんがやっていたものだ。それが六年ほど前に伯母さんが身体を壊してしまい、それ以来ずっと閉めていたのを、わたしが店の権利を買い取る形で新たにオープンさせた。

 思い入れのあるカフェを引き継いでくれるならと、伯母さんはただ同然の価格で譲ってくれた。しかし小さいながらも水回りや厨房設備、建物の補修のための費用が嵩んだので、わたしが東京でOLとして働きながら貯めたお金の大半はそこに消えてしまい、そんな事情だから懐具合は余裕があるとは決して言えない。だからほとんどボランティア待遇なのによく働いてくれる誠也くんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

 彼を見ていると自分がやはり大学生だった頃を思い出す。わたしも学生の頃に喫茶店でアルバイトをした。思いもよらず自分のカフェが持てるとなった時、八年働いた会社を退職したわたしは、カフェ経営のノウハウを学ぶため、その学生アルバイトの頃のツテを頼って、一年間、当時のアルバイト先の喫茶店オーナーのご友人の店で修行させてもらった。今現在でもいろいろなアドバイスをいただいている。

「どうかしました?俺の顔に何か付いてます?」
「えっ?ううん。違うの」

 思い出に浸りながら彼の顔を見つめていたらしい。

「わたしも学生の頃に、誠也くんみたいに喫茶店でアルバイトをしていたんだよ」
「そうなんだ。それでいつか自分もカフェをって?」
「うん。夢だったね。でもそういう夢は若い頃は誰でも抱くと思う」
「誰でも。そうかな」
「誠也くんの夢は?」
「俺っすか。はは、夢か。なんだろう。俺、自分が将来どうしたいのか、何になりたいのか、いまいちビジョンが描けないんですよ」
「でも勉強はできるって聞いてるよ」
「そうそう。勉強は、ね」
「あ、ごめん!そんなつもりじゃ」

 うっかり口を滑らせてしまったことに気がつき、慌てて否定する。彼を馬鹿にする気持ちなどまったくない。

「誠也くん、いくつだっけ」
「二十歳です」
「まだ将来なんて考えなくていいんじゃないかな。わたしが誠也くんぐらいの頃は、きみみたいな優秀な学生じゃなくて成績も平凡だったし、未来へのビジョンなんて、ただ薄らぼんやりしたものしか持っていなかったよ」
「そうは言ってもこうして夢を叶えたじゃないっすか」
「それはまあ、結果的にはね。たまたま運が良かったのよ。きっと」
「運も実力って言いますよ」
「はは。ありがとう」

 風が抜けてゆく。自転車に乗った日焼けした男の子たちが坂道を登ってきて、わあっと歓声を上げて通り過ぎる。キョウチクトウの白い花が風に揺れる。

 やはりこのキョウチクトウは、でもな。わたしの好きな花なのだけど。カフェとしてはどうなのだろう。やはり誰かに指摘される前に・・・。

「ところで、ちょっと相談が、というか聞いてもらいたいことがあって」
「・・・えっ。ごめん聞いていなかった」
「相談したいことがあるんです」

 ちょっと真面目な顔になった誠也くんはなかなかのイケメンだ。きっと女の子にモテるだろう。

「いいよ。わたしでよかったら聞いてあげる」
「実は今、気になってる女の子がいて、夏休みに入る前にデートをしたんです」
「なんと、ジャストタイミングな話題」
「何か言いました?」
「ううん。何でもない。続けて」
「それで、そのデートの最中に自分の気持ちを打ち明けようとしたら、急に怒って帰っちゃったんですよ」
「ふむ。もう少し詳しく教えてくれないと状況がわからないな。その時、彼女はなんて言ってたの?」
「俺が、きみのことが好きなんだ。だからこれからちゃんと付き合わないかって言ったら」
「言ったら?それでそれで?」

 そのシーンを思い浮かべてみる。なんだかわたしまでドキドキする。

「最初は、びっくりした顔をして、でも嬉しそうな顔になって、やったぜと思ったのに、急にハッとしたように俺の胸をドンと突き放して」
「ん?んん?突き放す?どういうこと?」

 ということは、誠也くんは彼女をぎゅっと抱いたのかな。だから馴れ馴れしいと突き放された。

「ほら、壁ドンってあるじゃないですか。あれを壁じゃなくて木に変えた告白バージョンですよ」
「は?いまいちそのシーンが浮かばないわ」
「その日も今日みたいに暑い日で、でも急に曇ってきてちょっと雨がぱらつき始めた。だから木の下で雨宿りしようって俺が言って、いい感じだったから、彼女を木に寄り掛からせるように壁ドンならぬ木の幹ドンで告ったんです」

 おう、なかなかやるじゃない。壁ドン告白なんてしてもらったことがないよ。でも誠也くんは失敗したのか。

「それで彼女は何と言ったの?」
「こんな場所で何を考えているの。危険なんだよ。まったくデリカシーが無い人ってこれだから、って思いっきり怒られちゃいました」
「ふうん」
「他人がその辺を歩いている状況で告ったりしたのは確かにデリカシーが無いって責められるのはわかります。でも危険って何でしょう?」

 わたしもわからない。なぜここで危険という言葉が出てくるのか?彼女が一旦嬉しそうな顔なったのは、誠也くんに気があるからに決まっている。告白されて喜んだのだ。それなのに、急に突き放した。いったいなぜ?

 おそらく彼の言葉ではなく彼の行動に謎を解く手がかりがある。彼の言葉を借りるなら壁ドンならぬ木の幹ドンだ。彼に押された彼女は木に寄りかかる。木。そういえば二人が雨宿りしたのはいったい何の木なのだろうか。彼にそう聞いたところ

「白い花が咲いていました。名前は、俺は植物にうといからわからないな」
「そう」
「でも、あそこに・・・」と、彼が指を差した。

「カフェの横にある、あの木によく似ているな。あれは何という・・・」

 彼の言葉に閃いた。わたしはすくっと立ち上がり誠也くんに宣言する。

「わかったわ。彼女の言葉の意味がわかったよ!」



後編へ続く。


☆他サイトと同時掲載です。
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